[RCCドラムスクール特別企画]

日本音楽界の至宝・猪俣猛と、スタジオ・ミュージシャンとして超多忙を極めた3人の名ドラマーが45年ぶりの再会!

“ネム音楽院”師弟座談会

朝からの冷たい雨が身体にはこたえはじめてきた2019年冬の初旬。数々の名演を日本ポップスに刻み込んできた3人の名ドラマーがRCCドラムスクール田端本部の門を叩いた。岡本敦男、瀧本季延、宮崎まさひろ────1955年生まれの彼らは、偶然にも同じ年、1973年に“ネム音楽院”の門を叩き、当時RCC創立前夜の猪俣猛にセットドラミングの指導を受けている。あれから40余年──、なんと師弟4名での再会が実現!ネム音楽院ではどんなレッスンが行われていたのか?“指導者”猪俣猛の当時の姿は?4人が多忙を極めた“スタジオ・ミュージシャン”時代とは?

……などなど、話題の赴くままの座談会は、4時間にも及んだ。
その模様を、Scene1~5の全5回にわたって順次紹介していく。

[企画・進行]山本雄一(RCCドラムスクール)

[インタビュー・編集]村田誠二

猪俣猛

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岡本郭男

瀧本季延

宮崎まさひろ

[Profile]

岡本郭男◎おかもとあつお

1955年、京都府舞鶴生まれ。小学生のときにグループ・サウンズに出逢い中学生でギターを始めフォークバンドを組む。高校時代にドラムを始めハードロック・バンドを組む。好きなドラマーはVinnie Colaiuta、John Henry Bonham。

73年にネム音楽院に入学。75年、浜田省吾が参加する”愛奴”でプロデビュー。その後は松山千春、布施明、西城秀樹、長渕剛などのサポートを行う。79年、新田一郎、渡辺直樹らとブラスロックバンド “スペクトラム”を結成し絶大な人気を得る。その後スタジオ・ミュージシャンとして数々のアルバムに参加しつつ、芳野藤丸のソロ作に参加したことをきっかけにAB'Sを結成。97年からは桑名正博の”TRIPLE X”、07年より”BLUFF”、09年からは ”SHOGUN”に参加。現在も米川英之などさまざまなライヴサポート、スタジオワークで活躍する一方で、AB'S fanとのAB'S sessionを長年牽引。また、東京自由学院でドラム講師も務めている。

瀧本季延◎たきもととしのぶ

1955年生まれ、東京出身。幼少からピアノ、ギターを始め9歳でドラムと出逢う。数名のプロの指導を受け18歳からネム音楽院にて猪俣猛先生に指導を受ける。20歳、後藤次利氏との出逢いをきっかけにプロとして始動。

浜田省吾、長渕剛、中島みゆき、松田聖子、尾崎豊、その他多くのアーティストのレコーディングやコンサート・ツアーやフルオーケストラでの映画音楽など幅広く演奏。30歳前半、リズムのルーツを求めアフリカンに興味を持ちジェンベと出逢い、その後さまざまな民族音楽を学ぶ。現在もキューバ、ブラジル、アラブ、アイルランドなどの音楽でのさまざまなパーカッションを演奏する。現在、宮地楽器でジェンベと総合パーカッションのクラスを持ち、80名あまりの生徒に、アフリカンをはじめさまざまな音楽のリズムの楽しさを伝えている。近年自身のトリオやガーナのニー・テテ氏とドラムその他パーカッションでの演奏で自身の可能性を模索中。

1955年生まれ、大阪府出身。75年、ネム音楽院在学中に浜田良美のステージ・サポート・メンバーに誘われプロドラマーとして活動を始める。その後、数多くのアーティストのステージ・サポートやスタジオレコーディングに参加。

宮崎全弘◎みやざきまさひろ

1981年から1986年までは高中正義のツアー、レコーディングにも参加している。1989年35歳のとき、食べ物の安全性に興味を持ったのをきっかけに音楽活動をやめ、農業に転身することを決意。10年間農業に従事したのち、2000年、45歳で音楽活動を再開した。

またCM、劇判の録音など幅広く活動を続ける。

《Scene1》

“先生は「盗め」って言ってた──”
ネム音楽院での“見覚え”、“聴き覚え”

[RCC特別企画]ネム音楽院師弟座談会

《Scene1》

“先生は「盗め」って言ってた──”
ネム音楽院での“見覚え”、“聴き覚え”

(座談会を撮影するために音楽用ビデオカメラZOOMのQ2nをセットしていると──)


瀧本季延:それ、便利なんだよね。スタジオのリハーサルなんかでも、どの場所で撮ってもすごくバランス良く録れるの。コスト・パフォーマンスにも優れてて、スティーヴ・ガッドが広告に出てるんだよ。今、こういうものがあるからさ、若い子たち、自分の映像をチャッと撮って自分のプレイをチェックできたり、すごく恵まれてるよね。

 

猪俣猛:だからダメなんだよ、逆に。自分で考える力がなくなっちゃうから。若い子を見てるとわかるもん。覚えるのはすごいんだけど、考える力がなくなってくる。そこにアクセスさえすれば全部そこから出てくるっていう、音楽家にとっては最悪のパターンだよね。

瀧本:さっきも俺ら3人でそれを話してたんですよ。いろんな若い子たちと一緒に演るんだけど、区別がつかないというか、上手いんだけど印象に残らないことも多いっていう。

猪俣:それは確かに言えるよ。今の情報っていうのは、自分で探さずに全部与えてくれるから、自分で考え出すって能力がなくなっちゃうんだよね。それは怖いよ。

宮崎まさひろ:それはあるかもしれない。YouTubeとかちょっと探せば自分の好きなものがあって、それをコピーするっていうね。

瀧本:俺らの時代は、“あの人のドラムを観に行きたい!”って思ったら、外タレだから大枚はたいて行って、“絶対見逃さない”っていうくらい齧り付いて観てたけど、今、身銭切らなくてもココで見れちゃうからね。

岡本郭男:やっぱり生で観たり、生の音を聴くのは全然違うからね。

猪俣:昔は、“目覚え”、“聴き覚え”っていうのが普通だったからね。

瀧本:たぶん、今日の座談会のメインテーマにも通じる話だと思うけど、我々がまだ小僧だった18歳くらいのときに先生のところに行ってね……忘れもしない──みんな、覚えてる? セット叩かせてくれないんだよね。ライド・シンバル1枚(笑)。それをレガートするんだけど、もう先生とまったく音が違うの。で、「当分セットは要らない」みたいなことを言われてさ(笑)。それまでレコードを聴いて、なんとなく「4ビートってこんな感じなんだろうな」なんて思ってたものはあったけど、やっぱり先生の生の音を聴いて、スティックの先端にパワーが詰まった“コォン!コォン!コォン!っていう音、何十年経った今でも忘れられないもん。それで今でも「まだまだだな」って思えるし。シンバルによってこんなにニュアンスが変わるんだなって思えるその根底には、先生のあの音があったりするんだよね。

宮崎:シンバルのニュアンスの付け方なんかは、本当に勉強になったんですよ。

猪俣:それはね、今でも言われるよ──「なんで木の音がするんですか?」って。

宮崎:先生、僕、それをものすごく練習しましたもん。スティックを当てる角度とか、「このくらいの角度でいくと木の音がするんじゃないか」とか(笑)。

瀧本:あとはスティックのチップの形状だよね。俺、今、音楽によって3種類のスティックを使い分けてるけど、そうしないとそういうふうにならないんだよ。

(ここでソフト・ドリンクが運ばれてきました──)

猪俣::じゃあ、まずは乾杯しよう。

全員:乾杯!

岡本:先生、さすがに酒は呑まないんですか?

猪俣:もともとダメなんだよ。ホントに乾杯程度だし。

──では、あらためまして。今日はお忙しい中お集まりいただき本当にありがとうございます。私がドラムを始めた頃に憧れていたみなさんが、ネム音楽院で教えていた猪俣先生のお弟子さんで、しかも同期だったということを後に知って、いつか猪俣先生とみなさんの座談会を設けたいというのが夢だったんです。みなさんがネム音楽院に通われていた頃は、ちょうど“RCC創立前夜”という時期ですので、その頃の“指導者としての猪俣猛”の話や、当時のネム音楽院とはどういう場所だったのか、さらに、今活躍をしている若いドラマーもたくさんいますが、還暦を超えられた今も第一線で活躍されているみなさんから、彼らの参考になるような話も伺えればと思います。

宮崎:僕は一応、猪俣さんの弟子のつもりではいますけど、猪俣さんは長年教えていらしてお弟子さんがたくさんいらっしゃる中に、僕らが入れてもらえているというだけで光栄で、ありがたいと思ってるんです。

猪俣:俺は、誰も“弟子”なんて思ってない(笑)。俺、“弟子”っていうのは嫌いで、俺は“アドバイス”はするけど、直接“教える”ってことはあまりないんだよ。(スティックの)持ち方なんかは教えたかもしれないけど。あとは“音が汚い”とか、そういうことを言うくらいで。

宮崎:そう、だから具体的に教えてもらったという感じじゃないんですよね。

岡本:とりあえず“見て”、“音を聴いて”、だよね。

瀧本:教えるというより“伝承”だと思うんです。“sharing”っていうかね。僕も今はたまたま教える側のこともやらせてもらってますけど、今だに先生から習った、スティックではなく“手”でビートを叩くこととか、細々と言ってもらったことの受け売りですもん。

猪俣:“伝承”ね、良いこと言ってくれるじゃない。

宮崎:言葉で教えるんじゃないんですよね。

全員:そうだよね。

宮崎:僕も、教えてくださいって言われたりするけど、“教える”ことってないんだよな、って思っちゃうんですよ。

瀧本:先生は“盗め”って言ってたよね。

岡本:そうそう! 俺らの頃は“盗め”だよね。

猪俣:そうだね。その表現がやっぱり一番合ってるんじゃなかな。

宮崎:だから僕は、猪俣さんが練習してるところを、スタジオの入り口の小窓から覗いてましたから(笑)。

瀧本:タムいっぱい並べててね(笑)。

岡本:あの頃はもうビリー・コブハムとか出てきてて、猪俣さんも「こいつはすごいんや!」って言ってましたもんね。

瀧本:当時はわからなかったけど、今思えば“切削リム”ですよね。それを付けたタムを8個くらい並べてましたよね。

猪俣:9個だったね。

──その当時、ドラマーから見たら猪俣猛はスターだったと思いますが、ネム音楽院(以下、ネム音)に行けばその“猪俣猛”に教えてもらえるということで入学されたんですか?

岡本:いや、俺なんかは田舎にいて、ジャズをやっていたわけでもないし、高校を出てとりあえず学校に行くなら、っていう感じだったんですよ。最初は“合歓の郷”って名前でしたけど、それが恵比寿に移って、僕らはその第1期生として入ったんですけど、そこで初めて、猪俣猛という先生と猪瀬雅治先生というもう1人の先生に習うわけで、当時のスタープレイヤーの演奏を目の前で初めて見るわけですから、もう「これはエグい!」って感じでしたよ(笑)。その当時に言われてもわからなかったことが、今、自分で教える側になってみると「そうだったのか!」ってよくわかるんですよ。猪俣さんも当時「こいつはちょっと練習したな」とか「こいつはしてねぇな」って一発で見抜いていただろうなって、今教える立場になってみてよくわかります(笑)。昔、「お前、ちょっと練習しただろ」って言ってもらったのは、すごくよく覚えてますね。

瀧本:3人それぞれ、ネム音に入る経緯が違うと思うんですよ。僕はもともと東京で、小学生の頃からドラマーになりたくて、ネム音に入る前からいろんな先生にお世話になってたんです。たまたま父親が、ブルー・コメッツのベースの髙橋(健二)さんのお姉さんと知り合いで、ジャッキー吉川さんが四谷あたりで教えてるっていうんで……僕はそこから始まったんです。そのあとは、かまやつひろしさんのお父さん(ディープ釜萢)がやってた“日本ジャズスクール”が大久保にあったのでその門を叩いて。もちろん当時は、ジャズなんてなんだかわからなかったけどね。それが中学の頃で、それから少し“音楽で食っていく”みたいなことを意識したのかな。でも、そのためにどうしたらいいかわからないから、とりあえず動機は不純なんだけど、うちの隣りに国立音大のピアノ科のきれいなお姉さんが住んでて(笑)、ピアノを習っちゃったりして。でもやっぱり、俺がやりたいことはここではできないかもしれない……と思っているうちに、先輩から「俺、今こういうところで演ってるんだけど、トラやってくれないか」って言われて、歌舞伎町のシャンソンの店とかダンスホールでトラやってたんですよ。高校1年くらいのとき。そんなことをやっていたら、ある日、親父が「新聞にこんな広告載ってるぞ」って、“ネム音楽院東京”の広告を持ってきたんですよ。「(その広告に名前が載っている)この人たちはすごいらしいぞ」って言われていろいろ調べてみたら、猪俣猛さんって人は日本ジャズ界のトップの人なんだ、と。じゃあ、ちょっと金はかかるけど通おうかなって。授業料、けっこう高かったんだよ(笑)!

岡本:そんな先生たちに払うギャラを考えたら、安いかもしれないくらいだよ(笑)。

瀧本:あれだけの先生たちだからね。で、俺は親父に「大学卒業するまでにドラマーとしてやっていけなかったらきっぱり諦めるから」ってダメモトで言ってね。そう、覚えてる? 受験のとき。ものすごくいっぱいいたんだよね。

──受験があるんですね。

宮崎:ありますよ! その受験科目もすごかったですよ。ドラムの課題曲、ドラムの自由曲、ピアノの課題曲、ピアノの自由曲、それにソルフェージュもあったし……ドラムなのにソルフェージュもあったんですよ(笑)!

瀧本:ギター科にも“副科”としてドラムがあったしね。同期の山本恭二も、みんなドラムやらされてるし。で、受験のとき、ドラム科だけでもいっぱい受けに来てたの覚えてる?

宮崎:それは覚えてないな。

岡本:とりあえずこの3人と、あと1人いたのは覚えてる。その4人は全員合格したんじゃないかと思ってるんだけど。演奏もできない、耳もダメ、そんなまったくド素人の田舎モンの俺が受かってるんだから、たぶん全員取ってくれたんじゃない?

──実技試験の試験官は猪俣先生だったんですか?

岡本:いや、猪俣さんはいなかったよね。

猪俣:俺はいないと思うよ。

岡本:アンサンブルの先生──川村(英二)さんとか猪瀬さんがたぶんいたんだと思う。で、瀧本と宮崎はよくできてたんだと思うけど、俺はよく受かったなと思う(笑)。

猪俣:そのときの責任者は川村さんだった?

瀧本:川村さんか信田(かずお)さんでした。

岡本:そうかもしれない。真鍋(信一)さんじゃなかった。

瀧本,宮崎,岡本,

──ちょっと話を戻しますが、猪俣先生はネム音楽院の創立のときから携わっているんですよね? もともとは、ヤマハの川上源一さんとの出会いがキッカケですか?

猪俣:合歓の郷(※ヤマハリゾート“合歓の郷”開園は1967年)ができた当時の話だけど、そこで庭掃除をしている人がいて、俺はその人に惚れちゃったわけ。あとで「あの人、社長ですよ」って言われて「えーっ!!」って(笑)。それが川上源一さん。川上さんって人はすごかったよ……夢があったし、人間としてダイナミックだったね。まず、伊勢のあんな端の何にもない場所を買い取って“合歓の郷”をやるなんて、普通の起業家じゃ考えつかない。

宮崎:当時、プロミュージシャンを育てるっていう専門学校はなかったですよね。

瀧本:そう。専門学校って言っても、ネム音は今の専門学校とはだいぶ違うと思うけどね。

宮崎:いわゆるクラシックの学校はあったけど、ポップスの学校はなかった。

猪俣:川上源一さんの命令は「全員プロにしろ」「プロ・ミュージシャンを育てろ」だったから。

──それが、ネム音楽院のポリシーだったんですね。

猪俣:そうそう。だから、当時ネム音楽院を出た人間は、一応全員プロになってるはずだよ。

全員:そうですね。

瀧本:僕らの周りの人間も、先輩も後輩の連中も、みんなプロになってるもんね。

岡本:先輩で言うと、小野(裕介)さんも今でもプロでやられてるし、ジャズでは中村(典雄)さんも、あの当時からプロでやってたし、みんなプロで活躍してる。

瀧本:亡くなった松っつぁん(松原正樹)もそうだしね。

岡本:ユニオン(高橋達也と東京ユニオン)の中村秀樹もそうだし。

──ネム音楽院の立ち上げ時に集められた先生というのは、どういう方々だったんですか?

猪俣:キーボード科は最初、前田(憲男)さんじゃなかったかな。

全員:そうそう。

瀧本:親分は前田さんでしたね。

岡本:あとベースは、猪俣さんと一番古くからの荒川(康男/1939-)さんですよね。

猪俣:荒川さんは、ちょうどバークリーから帰ってきたばっかりだったから。

瀧本:あと、サックスの5ヴォイスのオーケストレーションなんかを教えてもらった北川(祐)先生。

宮崎:アレンジだよね。だから、ドラム科でもアレンジの授業もあったんですよ。作曲の授業もあったしね(笑)。

──ドラムはドラムだけじゃなく、音楽のこと全般がわかってないといけないと。

瀧本:理解できなくても「相手のことを知れ」ってことなんでしょうね。

猪俣:一応、音楽学校の専門的なことはひと通りやってたよ。

──スタート時は、全寮制みたいな感じで合歓にすべてが集まっていたんですか?

猪俣:そうそう。

瀧本:だから僕らは、ネム音が恵比寿に移ってきた、その第1期生なんですよ。

──では、猪俣先生は当初は合歓まで通っていたんですか?

猪俣:うん、俺は通ってたね。月に2回。宇治山田まで行ってタクシーで。それ以外、乗り物がないんだもん。だから大変だったけど、楽しかったよ。

岡本:俺らが入るときも、最初は三重に行く予定だったんですよ。そうしたら急遽「恵比寿に変わりました」って連絡がきて。だから、やっぱり先生方が三重まで教えに行くのが大変だったんだと思う。(学校の場所が)恵比寿になっても、俺と宮崎は寮に住んでましたけどね。恵比寿じゃなくて、東横線の菊名でしたけど(笑)。

宮崎:地方の人はみんな菊名の寮に入って、そこから通ってました。

瀧本:俺らの代は、東京の人間は俺だけだったんだよね。

猪俣:恵比寿ができた頃には、もう合歓の郷の方の生徒たちとは関係ないくらいだったもんね。

宮崎:だから恵比寿にはしょっちゅういらしてましたよね。

瀧本:そうそう。だからさっき宮崎が言ったように、猪俣先生がすごく練習されている姿が印象に残ってるんですよ。

──先生がスタジオで個人練習をしていたんですか?

宮崎:そう。それを僕らは覗きに行くんですよ。音も漏れてくるわけだから。

岡本:盗めないんだけど、一応見に行く(笑)。

──当時、カリキュラムはどういうものだったんですか?

猪俣:いい加減なもんだよね(笑)。

宮崎:いやいやいや(笑)。

瀧本:クラシック・ルーディメンツは猪瀬先生。全体的なアンサンブルとか4wayとか、実際に音楽を演奏するいろんなテクニックなんかは猪俣先生。……って僕は思ってましたけど。

宮崎岡本:それはそうだね。

瀧本:ルーディメンツとセット・ドラミングを、それぞれのスペシャリストに教わっているわけだから、これでプロになれなかったら、どうしようもないよね(笑)。

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